女王様、傷心 ~優弥サイド~

「お前……最低っ!」

 そう言うと、優弥は保健室を飛び出した。
 後ろで千歳が何かを言っていたが、今は何も聞きたくない。

「はぁっ、はぁっ」

 優弥は振り返りもせずに全力で校内を走って、生徒会室へと向かった。
 途中で他の生徒に会わなかったのは、運が良かったといえるかもしれない。
 そして、室内に入ると鍵をかけて、優弥はそのまま扉に背中を預ける。
 どこをどう通って来たかなんて覚えていない。
 気がついたら足がここへと向かっていたのだ。

「はぁっ……はぁ……」

 走ったせいで乱れた呼吸が落ち着いていくにつれて、優弥の視界がだんだんとぼやけていく。
 あそこで千歳を叩いたのは……涙を見せてしまったのは失敗だった。
 あれは怒るところでも、泣くところでもない。
 自分達の間に愛はなくて、身体だけの関係なんだからあれで傷ついた素振りを見せるのは卑怯だった。

(だけど、俺は……高瀬のことが……)
「……好き……大好き」

 今まで一度だって本人に伝えなかった言葉が優弥の口から零れた。
 優弥はこの言葉を千歳に言ったことがないし、当然、千歳からも一度も言われたことはない。
 あれだけ何度も抱き合ったのに、一度だって二人の間に「好き」という言葉は出てこなかった。

「当然か……」
(高瀬が俺を抱いていたのは、愛情じゃない。結局、他のやつと同じだったんだ)

 生徒会長で家がお金持ちというのに惹かれて抱いてくれと言う女もいれば、母親譲りの優弥の容姿を気に入って抱かせろと言ってきた男も今までたくさんいた。
 そんな彼らとは千歳は違うと、優弥は思っていたのに……。

「……お前だけ……」

 次から次へと涙が溢れてくる。
 優弥はそれを拭うことすら出来なかった。
 千歳を叩いた右手が痛むが、きっと千歳はもっと痛かったはずだ。
 思いっきり叩いてしまった。

『俺だけの相手してるわけじゃないんだしさ』

 最初、何を言われたのか理解出来なかった。
 頭の中が真っ白になって……気がついたら優弥は千歳の顔を叩いていた。

「……うっ……」

 涙と一緒に、止められない嗚咽が漏れる。
 身体から力が抜けて、優弥は扉に寄りかかったまま、その場に崩れ落ちた。

「……高瀬」
(俺が誰とでも簡単に寝ると思ってたの? 俺なら簡単に身体を許すから、俺を抱いてたの?)

 自分達の間に愛がないことよりも、自分が誰とでも関係を持つような人間だと千歳に思われていたことが優弥にとっては辛かった。

(俺には、最初からお前しかいなかったのに。最初から、心も身体もお前だけのものだったのに……)
「……くっ、うっ!」

 その後、嗚咽を抑えることが出来なくなった優弥は声に出して泣いた。
 ここが学校だとか、いい年した男が……なんて、考える余裕は今の優弥にはない。
 ただただ、胸が苦しくて……。

『好き』

 その一言を自分が素直に言っていたら、何かが変わっていたのだろうか?
 そう後悔したところで、今さら元には戻れない……。

 

◆   ◆   ◆

 千歳を叩いてから数日が経った日の放課後、優弥は生徒会で必要な資料を探して図書室に来ていた。
 あれ以来、千歳に優弥から連絡はとっていないし、向こうからもないので、この数日は顔も見ていないし、声だって聞いていない。

(結局、クラスの違う俺達の関係なんてこんなもんなんだな)

 抱き合うときにしか会わない……本当に、身体だけの関係だったのだ。

「はぁ……」
「お疲れ様」

 ため息を吐いた瞬間に声をかけられ、優弥が驚いて顔をあげると、目の前の机にミルクティーの缶が置かれた。

「お前は……」

 ミルクティーを置いた人物に目をやると、そこには優弥の見覚えのある人物が立っていた。

「運動部部長、相馬ソウマです」

 優弥が呼ぶよりも先に、笑顔で相手はそう言うと、優弥の前の椅子に腰をおろす。

「それくらい知ってる」

 優弥の言葉に相馬は笑顔で顔を覗き込んでくる。

「女王様に覚えてもらえてるなんて光栄だな」
「女王様……?」

 優弥が聞き返すと、相馬は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐにまた笑いながら言った。

「いや、それよりよく俺なんかのこと覚えてたね」
「よく言うぜ。アンタ、有名だろ」

 相馬は優弥よりも二つ年上の三年で、運動部部長をやっていることから、よく生徒会とも関わりのある人物だった。
 それ以外にも、そのルックスと性格から、去年までは高等部内で人気ナンバーワンの男だったという噂を優弥も聞いたことがある。
 もっとも、優弥と千歳が高等部に進学してからは一気に三位までその人気を落としたわけだが、自分のことに対して興味のない優弥がそのことを知るわけがなかった。

「有名なのは会長の方でしょう……最近、仕事頑張ってるって噂になってるよ」
「……」

 相馬に図星をさされ、優弥は言葉を飲み込んだ。
 今の優弥は、千歳とのことを忘れるために生徒会長としての仕事に没頭していた。
 少しでも、千歳のことを考えないように必要以上の量をこなしている。

「無理してない?」

 そう言って、相馬はいきなり優弥の眼鏡を外してきた。

「おい!」

 取り返そうとした優弥の手をかわして、相馬は優弥の眼鏡を自分の胸ポケットにしまってしまう。

「もう仕事モードは終わり!」
「何言って……」
「少しは休憩しなって。会長、最近、元気ないでしょ。何かあった?」

 いきなり机の上にあった手を相馬に両手で握られ、真剣な表情でそう聞かれた優弥は何も答えることが出来なかった。

(……温かい。こうやって他人に触れるのは何日ぶりだろう)