「良かった、間に合った~!」
そう言って机の方に来た春樹は息を乱して、まるで遅刻寸前で教室に駆け込む生徒かのように、まさに急いで来た感じだ。
春樹は大学時代にバンド活動をやっていたらしく、それに熱心になり過ぎて大学を一年留年するという特異な経歴を持つ。
その縁でどうやらオキと親しくなったようで、二人でここの採用試験を受けたら理事長が気に入りセットで採用になった。
オキはいつも迷惑そうにしているが、なんだかんだで春樹を見捨てずにいるのは春樹の持つ人懐っこい性格のせいだろう。
年齢に関係なく誰とでも親しくなれる春樹だが、そのどこか危なっかしい無邪気さがついつい放っておけず俺もみんなも構ってしまうのだ。
黙ってればモデルみたいに格好良いのにな。
「おはよう。はい、水」
「あ、ありがと」
教師にしては余りに悲惨な姿を見兼ねた涼介が差し出した水を、春樹は一気に飲み干す。
「何でそんなに疲れきってんの?」
「朝練は指導だけのはずでしょう?」
「違うよ、朝練後に一度、着替えに家に戻ったの」
俺とオキからの問いに、やっと一息つけたのか春樹が説明してくれた。
言われてみれば、週末の朝練後に春樹がワイシャツにネクタイなんて珍しい。
「週末だから……なんて言い訳、近藤先生にはきかないと思ったから急いで着替えてきたんだよ~」
「確かにね。朝からお疲れ様」
机に突っ伏してしまった春樹の後頭部を撫でて慰めてあげる。
また甘やかしていると怒られるかと思い、チラッとオキと涼介へと視線を向けたが、特に二人からは何も言われなかった。
それにしても、よほど急いだのだろう。いつもだったらしっかりとヘアーワックスで整えられている春樹の髪が少し乱れていた。
それが何だか可愛くて俺はわざと髪型を崩すように春樹の頭を撫でる。
春樹もおとなしく動かずにいたので、そのまま動物を撫でる感覚でしばらく続けていると、今度こそ陽愛くんが戻ってきた。
「お帰り、山くん」
「着替え完了~」
「あっ、山ちゃん替え持ってきてたの?」
涼介と陽愛くんのやりとりを聞いていた春樹が顔をあげて聞くと、陽愛くんは首を横に振って答える。
「ううん、雪くんに持ってきてもらった」
「え~、また?」
陽愛くんの答えに春樹が不服そうに言うと、いきなり俺の方へと振り向く。
「雪ちゃん! 山ちゃんばっかりズルいよ。俺のお世話もして」
「だから、校内で名前呼ぶなって!」
突然、春樹に詰め寄られ、慌てた俺は話が噛み合っていないとわかりつつも、そう言い返していた。
「そんなことどーでもいいの!」
「そんなことって言うな!」
春樹がムキになって言ってくるので、俺も即答で反論した。
だって、年下の後輩にちゃん付けで呼ばれているなんて、生徒にでも聞かれたら恥ずかしいじゃないか。
「はいはい、二人とも」
「雪乃くんもハルも落ち着けって」
「そろそろ会議室に移動しないと遅れますよ」
三人が仲裁に入ったことで、俺と春樹は慌てて時計へと目をやった。
せっかく、着替えも間に合ったのに、こんな所で時間をとって遅刻したらもともこもない。
「とりあえず、その件に関しては後で話すからな、藤堂先生」
「何度話しても雪ちゃんは雪ちゃんだからね、土方先生」
俺の言葉に、机から取り出したワックスで髪型を整えながら春樹がわざと『土方先生』と返してきた。
もう、ちゃんと呼べるなら普段から校内ではそう呼べよ。
いまいち納得出来ないまま、俺は会議室へとみんなで移動した。
中にはすでに俺達と同学年の担任や副担任の先生方がワイシャツにネクタイ姿で座っていたので、俺達も慌てて空いている席へと腰かける。
すると、その直後に会議室のドアが開き俺達の学年主任・近藤先生が現れた。
「おはようございます!」
他の先生が立ち上がって挨拶をしたので、それにつられて俺達も立ち上がって挨拶をする。
やっぱり近藤先生の存在感は大きくて、同じ学年を受け持つ誇りと同時に妙な緊張感がある。
会議の時は必ずワイシャツにネクタイ。その会議だって今日のように、突然、特殊な召集のかけ方をするのでみんな気が抜けない。
気がつかなかったと言ってしまえば、もっともな理由だが、それを言わせない雰囲気が近藤先生にはあるのだ。
それでいて恐くて近寄りがたいわけでもなく、俺達後輩にも気さくに話しかけてくれる良い先輩だ。
「今日、皆さんに集まってもらったのはそろそろ近づいてくる学園祭のことです」
その近藤先生の言葉で、俺はもうそんな時期が来たのかと気づく。
この時期になると文化部の顧問をしている先生やクラス担任を受け持っている先生方は何かと慌しく動くことになる。
俺は文化部の顧問をしているわけでもなかったので、特にこの時期を気にしたことは今までなかった。
「今年は例年通り運動棟は文化部に開放します。そして、それに加えて体育館を一番いい企画を提案したクラスへと開放するとともに理事長から多少の予算援助が出ることが決定しました」
近藤先生から告げられた発表にその場の先生達からは感嘆の声が漏れた。
「そこで、皆さんには担任・副担任ともに協力し合い、ぜひとも我ら二年の学年からいい企画が選ばれるように頑張ってもらいたい」
その宣言の後は、いかにいい企画を考えるかの話し合いへと移行していった。
どうやら今回の異例の会議は、出来る限り早めに学園祭へと取り組めるように開かれたものだったようだ。
そして、週末の休みを使い、来週までに各自、何かを提案することを課題としてその日の会議はお開きとなった。