第1話

「はーい、朝練はここまで!」

 緑のジャージを着た青年がそう言って首に下げているホイッスルを鳴らすと、その場のみんなの動きが止まり、ボールの音も静かになる。
 この青年は私立誠陵學校の保健体育担当・藤堂春樹先生、二十四歳。
 藤堂先生は体育教師といっても、体格のいいタイプではなく、むしろ細身で長身のモデル体型で、今もジャージ姿だというのにそのスタイルの良さがはっきりとわかる。
 さらには元々の校則が厳しくないためか割と教師も自由で、明るい茶色のメッシュが入った髪をヘアワックスで整えている藤堂先生は、こうしてジャージ姿でいても彼の職業が体育教師であると当てられる者はいないだろう。
 そんな彼は今、自らが顧問を勤めるバスケ部の朝練中だったのだ。
 それぞれがボールを手にして自分の元へと集まったのを確認してから、藤堂先生は生徒に向かって言う。

「各自、ボールを片付けて、シャワーと着替えを終えたら朝のホームルームの準備!」
「はい、お疲れ様でした!」

 元気な声とともに生徒達が散って行くのを見送り、藤堂先生はこの学校の教師達の唯一の制服とも言える白衣を取りに、自分のロッカーへと向かう。
 朝練に関しては、自ら動いて指導はしないので生徒達のようにシャワーを使う必要もない。

(ホームルームまでは職員室でのんびりしてようっと)

 そう思いながらロッカーを開けた藤堂先生は、目の前に貼られている紙に一瞬、驚く。
 朝練前にはこんな物はなかったはずだ。
 だが、藤堂先生はその紙に書かれている内容を読んでさらに驚かされることになる。

『会議室に集合せよ!』

 この短い一文で、それが学年主任の近藤先生の残した物だと気づいた藤堂先生は慌ててカレンダーで曜日を確認し、少しふて腐れたように言った。

「なんで? 今日って金曜日でしょ!」

 藤堂先生がそう言うのも無理はない。
 誠陵學校では職員会議があるのは基本的には月曜から水曜までと決まっている。
 さらに面倒なことに、その会議のある日は近藤主任の案により白衣の下にはネクタイ着用が義務付けられているため、先生達は月曜から水曜はワイシャツ姿……木曜と金曜は自由な服装となっていた。
 体育教師である藤堂先生は、必然的に自由な服装の日はジャージ姿になるため、今日はワイシャツやネクタイなどを用意していなかった。
 金曜日だから私服で来た。
 本来ならば正当な言い訳になるだろうが、あの近藤主任の美意識がそれを許してくれるとも思えない。

「会議までに間に合いますように!」

 藤堂先生は両手を合わせて祈るようにそう言うと、愛車の鍵を手にしてその場を走り出した。

 

◆   ◆   ◆

 
 それと同じ頃、藤堂先生と同期の誠陵學校の家庭科担当の斎藤涼介先生・二十三歳は、自宅のベッドの中にいた。
 朝にめっぽう弱い彼は、一応目を覚ましてはみたものの身体を起こすまでにはいかずベッドの中でダラダラとしていた。
 もっとも、家庭科の教師なだけありすでに朝食の下準備は昨夜のうちに終えている。
 そんな家庭的な一面を持っている斎藤先生だが、こちらも藤堂先生と同じくなかなかのイケメンで、まだ夏の暑さを多少残すからかパジャマ代わりのタンクトップから覗く身体はとても家庭科の教師とは思えないくらいに立派に鍛えられている。
 どこか色気すら感じさせる気怠げな動きで斎藤先生は前髪をかき上げると、枕元へと置いてある時計へと視線を移す。
 どうせ、もうすぐ自分でセットしておいた最終的なタイムリミットのアラームがなるはずだ。
 そう考えて、残り僅かの睡眠をとろうと斎藤先生が完全に寝の体勢に入ろうとすると、それを邪魔するかのように自宅の電話が鳴る。

(こんな時間に誰だよ……。まあ、留守電に切り替わるからいいか)

 ぼんやりと頭でそんなことを考えつつ、斎藤先生は完全にその電話を無視することに決め込み、頭ごとベッドへと潜り込んだ。
 そして、予定通り電話が留守電案内を流し始めたかと思うと……。

『会議室に集合せよ!』
「……っ!」

 まだ録音の段階にもなっていないというのに、電話の相手は名前も名乗らずそれだけ言うと電話を切ってしまった。

「今の声って……近藤主任だよな」

 聞き覚えのある大先輩の声に、さすがに斎藤先生も起きずにはいられない。
 先にスマホにかけるわけでもなく、メッセージを残すつもりも全くないあたり、最初から斎藤先生が自宅でこれを聞いているとわかっているのだろう。

「今日って金曜日じゃね?……」

 週末なのに、なぜ会議室に呼び出されるのか不思議に思いつつも斎藤先生は学校へと行く準備をするためにベッドから抜け出す。

「どうせなら、近藤主任じゃなくて好きな相手の声でモーニングコールがいいんだけどなぁ」

 斎藤先生は、もっともな希望を呟きながら大きく欠伸をすると、そのまま時計の横に立てかけてある見開きタイプの写真立てを手に取った。
 そこには左右に写真が入っていて、まだ小学生くらいの幼い少年二人が笑顔で仲良くくっついている物と、今よりも僅かに若い斎藤先生がスーツ姿の男性に肩を組まれて、少し恥ずかしそうにしている物がそれぞれ収められていた。
 どちらもよく見ると、それぞれの面影が残っているので左右の写真は同一人物達なのだろう。

「おはよう……雪ちゃん」

 斎藤先生は青年の方の写真へとそう呟くと、そっとそこへと唇をあてる。
 そして、タオルを手にシャワールームへと消えて行ったが、その表情はさっきまでの色気が嘘かのように優しく、とても幼いものだった。

 

◆   ◆   ◆

 
 斎藤先生がやっと起き出した一方で、こちらはすでに自宅のパソコンを立ち上げている青年がいた。
 長めの前髪が邪魔にならないようにゴムで結わき、パソコンを見つめているのは藤堂先生や斎藤先生と同期の誠陵學校・科学担当の沖田秀一先生、二十三歳だ。
 邪魔になるなら切ればいいと思うのだが、無造作に結わってあるその前髪は年齢の割にはとても可愛らしく、どこか幼さを残す沖田先生の顔に合っている。
 彼の職場が年下の学生ばかりの学校という場でなければ、きっと年上の女性から可愛がられているタイプだろう。
 そんな彼は今、別にパソコンを使って熱心に仕事をしているわけではなく、コンビニで買った朝食のメロンパンを食べながら、熱心に趣味のネットゲームをしているのだった。
 今日は金曜日で週末なため、今夜は遅くまで仲間内で集まることに(ネットの中でだが…)なりそうな予感がする。
 そのために今から一人でレベルをあげて準備をしているのだった。
 パソコンでのネットゲームは不特定多数の人とチャットを通して交流がもてる。
 普段の沖田先生ならネットゲームの利点を最大限に使い楽しむのだが、一応、今は出勤前の僅かな時間しかないため、沖田先生は一人黙々とレベルをあげていた。

「……ん?」

 すると、レベル上げをしている沖田先生のキャラに、画面上で他のプレイヤーが近づいて来るのに気づく。
 ここで話しかけられたら、ちょっと面倒だなぁ……と、沖田先生が少し困っていると、やっぱり相手が話しかけてきた(あくまでチャットである)。

『会議室に集合せよ!』
(………は?)

 一瞬、このゲームの中で会議室どこだ? と思った沖田先生だったが、相手が再度その言葉を繰り返すと、頭の中に一人の人物が出てきた。

「もしかして……近藤先生?」

 その沖田先生の実際の呟きが聞こえたわけはないはずだが、まるで狙ったかのように目の前のプレイヤーが姿を消した。
 きっとゲーム内からログアウトしたのだろう。

「まさか……盗撮とかされてないよね?」

 あまりのタイミングの良さに、沖田先生が冗談混じりに呟くが、それに返ってくる答えはない。
 気持ちを切り替えるために大きく伸びをすると、沖田先生はパソコンの電源を落とし前髪を結わっていたゴムを外した。
 その途端、さっきまで見えていた沖田先生の可愛らしい顔の目元辺りまでが前髪で影になってしまい、急に地味な印象が強くなる。
 そこに追い打ちをかけるかのように、沖田先生は横に置いてあった黒縁眼鏡をかける。今さらながらにかけたその眼鏡には当然、度なんて入っていない。
 完全な変装用のアイテムだがその効果は抜群で、これで表を歩いたとして、長めの黒い前髪に冴えない黒縁眼鏡で隠された沖田先生の素顔を気にする者はいないだろう。

「ワイシャツに着替えないとなぁ」

 そう言いながら今度は携帯ゲーム機の充電を始め、イスから立ち上がった沖田先生は、どこか妖艶な笑みを浮かべていた。