第2話

 みんながそれぞれ、ワイシャツの用意をしている中、そんなことには全く気づかずにラフな私服姿でバスに乗っている青年がいる。
 何かと誠陵學校で人気の高いイケメン教師の中で一番年上の二十六歳で先輩……そして唯一、車の免許を持っていない美術担当の山南陽愛先生だ。
 今日もいつものようにバスの後部座席に、駅から学校まで早めに学校に向かう生徒に混じって座っている。
 ただ、いつもと一つだけ違うとすれば山南先生が寝ていないということだった。
 普段からどこか眠そうな雰囲気のある山南先生は、朝のバスの中で心地好い揺れに身体を任せて眠っている姿がよく目撃されている。
 それどころか学校の最寄りのバス停に着いてしまい生徒に起こしてもらうというのも珍しくなかった。
 そんな山南先生が寝ていないのには理由がある。
 せっかくの週末の休みを利用して、趣味の一つである登山に行こうかと考えているのだ。
 山南先生はどちらかというと小柄なタイプで、よく美術室の椅子でうたた寝をしている姿は少し茶色っぽいストレートな髪が陽の光を浴びて輝き、まるでその空間だけが一つの絵画のようで、可愛らしい山南先生の寝顔を見ようと人だかりが出来ることもある。
 だが、そんな癒し効果抜群の山南先生の趣味は意外にもアクティブなものもあり、休みがあるたびに登山や釣りなどのアウトドアへと出かけているのだ。

(天候によっては今夜から出てもいいし、明日の朝早くから出て泊りの登山でもいいなぁ)

 そう考えを巡らせて、山南先生は熱心にスマホで山の天気情報を集めているのだった。

「あ……メール?」

 山南先生が真剣に画面を見ていると、ちょうどメールを受信したことを知らせる画面が映る。
 とりあえず山南先生が届いたばかりのメールを開いてみると、そこには短い一文が送られていた。

『会議室に集合せよ!』
「近藤先生……さすがだなぁ」

 その一文を見て山南先生は驚くわけでもなく、感心したように呟いた。
 普段の山南先生ならこの時間は「居眠り」という名の船をこいでいるので、メールが届いたとしても気づくわけがない。
 今日は週末だから、山南先生が天候情報を携帯で見ていると読んだうえで近藤先生はメールを送ってきたのだろう。

「でも、今日って金曜だしなぁ……メールしよっと」

 そう呟いてスマホを弄った山南先生は誰かにメールを送る準備をし出した。
 そして、メールを送り終えたのか、また天気の画面を開き直す。

「さて……明日の雲の流れは……」

 今の山南先生には朝の会議よりも、明日の天気の方が気になるのであった。

 

◆   ◆   ◆

 
 その山南先生がメールを送った相手とは……。

「あれ……陽愛くんからメール来てる」

 誠陵學校の世界史担当の土方雪乃先生は、手にしていた新聞をテーブルに置き、代わりにメールを受信したばかりのスマホを手にした。
 山南先生から送られてきたメールには『シャツとネクタイ持ってきて』とだけ書かれている。

「今日って金曜だよな?」

 メールを読んだ土方先生はテレビのニュースに映る日にちを確認した。
 ほぼ同期に近い藤堂先生・沖田先生・斎藤先生の三人よりも先輩で少し年上の土方先生は、ちょうど年齢も教師歴も山南先生と年下三人組の間になり、元々、家庭科教員の斎藤先生とは昔、幼馴染みだった縁もありこの若手メンバー達の中心的人物だ。
 もっとも、土方先生の人気はそれだけが理由ではない。
 誠陵学校教師陣の中で一番の高学歴で、見た目も爽やかな生粋のお坊ちゃま育ち。決して身長も身体つきも女性的ではないが、男にしては美人と言える顔つきが男臭さを感じさせず、女子生徒からの人気は高い。
 それでいて土方先生は高校まで男子校だったためか、体育会系のノリで男子生徒の面倒もよくみている。
 そのためか、生徒だけに限らず教師陣の中でも土方先生に対する信頼は厚いものがある。
 中でも、山南先生とは土方先生が新任でこの学校にきた時からの一番の付き合いなので、後輩組が来るまではよく二人で一緒にいることが多かった。
 マイペースな山南先生の生活面を土方先生が色々とサポートしてあげていたために、二人のことを冗談で『夫婦』と呼ぶ人達もいたくらいだ。
 そのサポートの中の一つが、職員会議などの日に山南先生が忘れたワイシャツやネクタイを、土方先生が持って行ってあげるというものがある。
 土方先生からしてみればバスなどで通勤している山南先生を気づかってのことだが、その回数があまりにも多いため、今では山南先生サイズのワイシャツが土方先生宅に用意されているほどだ。
 だが、その連絡が来るのはいつも週の始めで、こんな週末に来たことはない。

(突然の雨で着替えでも必要になったのかな?)

 無理やりな理由を考えながら土方先生がふとテレビに目を戻すと、ちょうど天気のお姉さんが局の外で今日の天気について喋っていた。
 その背後では、よほど目立ちたいのか、よほど暇なのか……平日にも関わらずそこそこの野次馬達が集まっている。

「朝から元気だな……えっ?」

 何気なく背景の人達へと視線を向けた土方先生は、自分の目を一瞬疑ってしまった。
 なぜなら、その野次馬の中に混じって自分達の大先輩である学年主任・近藤先生の姿があったからだ。
 しかも、よく見ると身体の前に文字が書かれている何かを広げている。

「えーと……会議室に集合せよ……?」

 それを読んだ時、土方先生はさっき届いた山南先生のメールの意味を理解した。
 この時間はすでにバスに乗っているであろう山南先生に、このニュースは見ることが出来ない。
 つまり、これとは別の方法で近藤先生は山南先生へと伝えたのだろう。

「近藤先生が何を考えてるのか……いまだにわからない」

 ため息とともにそう呟くと、土方先生は山南先生の服を用意するための支度を始めた。