第21話 

「やっぱり……今の生活のままじゃまずいよなぁ」

 放課後、明日の授業で使う資料を用意するために準備室へといた俺は、一人だということを確認してから深いため息とともにそう呟いた。
 今まで安全だと思っていた涼介まで、ついに行動に移してきた。これは本気で考えないといけない状況なのかもしれない。
 陽愛くんに好きだと告げられた時に考えてみてほしいと言われていたのに、俺は学園祭の忙しさにかまけて真剣に向き合ってこなかった。
 みんな、それぞれクラスの出し物も決まり、特に陽愛くん、オキ、涼介の三人は文化部顧問ということもあり、いつになく忙しくて帰りも遅くなるし、運動部顧問の春樹もクラスの企画が校内で一番人気なために準備に気が抜けずに忙しくしている。
 俺のクラスは「眠れる森の美女」の演劇をすることになっているが、稽古も始まらない今の時点で担任の俺は特にすることもない。
 最初、何故か教師である俺に王子役を任されそうになったが、あまりに動揺した俺は咄嗟に隣りにいたオキに押し付けてしまったのだ。
 いくらオキの演技が上手いとはいえ、今思えば、文化部顧問のオキに悪いことをしたな……と反省中である。
 そんなわけで、なんだか忙しそうなみんなが俺に答えを急がないことに甘えているのは事実だ。
 でも、最近のみんなの積極的な行動は、それが原因なのかもしれない。はっきりと答えを出さない俺に、みんなも急かすことは出来ないが色々と限界がきているのだろう。
 俺だって、このまま何事もなく過ごせるなんて思ってはいないけれど……なかなか答えが出せずにいる。
 告白されてからずっと悩んでいる問題が、何一つ解決していないのだ。
 同じ男同士。
 同じ職場の教師。
 同じ年代で、ほぼ同期に近い俺達五人の関係……。
 特別気が合うってわけでもないけれど、それぞれの個性をいかしつつ、なんとなく五人で信頼しあって今までやってきた。それなのに……。

「……誰か一人なんて選べるわけないじゃん」

 俺は小さくそう呟いた。
 だって俺にとっては、みんな大事な仲間で誰が一番かなんて決められない。
 もし、誰か一人を選んだとしたら、俺達の関係はどうなるんだ?
 今まで通りに五人で仲良くなんて出来るのか?
 俺の出す答え次第で、もしかしたら今のこの関係性が壊れてしまうかもしれない。
 そう思うと怖くて、俺は答えを出すどころか、考えることすら放棄してしまいたくなる。

「このままじゃ駄目だってわかってはいるんだよ」

 誰に言うわけでもなく、俺は声に出して言う。
 しばらく、そのままでいた俺だったが、ここで一人で考え込んでいると出口の見えないループに迷い込んでしまいそうなので、早めに帰宅することにした。
 みんなの顔を見れば、少しは安心できるかもしれない。
 こんな考えが、みんなに甘えてしまっている証拠だと思うと、自分自身に呆れてしまう。
 素早く荷物をまとめて職員用の下駄箱に向かい、帰ろうとしたときだった。

「土方先生? お疲れ様です」

 後ろから声をかけられ振り返ると、そこには学校の用務員さんが立っていた。
 この用務員さんとは時々、休憩中に会うことがあって息子くらいの年代の俺を可愛がってくれて、たまにコーヒーを奢ってくれたり話をしたりすることがある。

「お疲れ様です」
「今、お帰りですか?」

 見知った顔にホッとして笑顔を返すと、そう聞きながら相手もにこやかな笑顔で近づいてくる。

「ええ。明日の資料を用意してたんで」

 そう答えると、相手はポケットから小さなペットボトルを出した。

「これいりますか? 今買ったんですけど、ちょっと間違えてしまって。蓋は開いてるけど、まだ飲んでないんで安心してください」
「あ、ありがとうございます」

 断る理由もないし、いつもよくしてくれている用務員さんからの差し入れを俺は素直に受け取った。
 すると、用務員さんは何かを思い出したかのように質問してきた。

「そういえば……土方先生、最近、車で来られないですよね。近くに引越しでもしたんですか?」

 確かに最近は、理事長の用意してくれた家から通っているために通勤は専ら徒歩だ。そりゃ、何週間も車がなければ、不思議に思うよなぁ。

「いや、そういうわけではないんです。ちょっと、しばらくは知り合いのところに居候中で……」

 理事長に用意してもらった家に、同僚と住んでいるなんて説明するわけにもいかないから俺はやんわりと言葉を濁した。
 その言葉を疑わなかったのか、用務員さんは納得したように頷いた。

「学園祭の準備で遅くなることも多くなりますしね、近場の方が楽か。あ、もしかしてその知り合いって……女性だったりします?」
「違いますよ! 男です、男!」

 冷やかすように聞かれて、慌てて俺は否定した。
 すると、今度は用務員さんが真剣な表情で聞いてくる。

「男とですか……そういえば土方先生、あまり浮いた話、聞きませんよね。もしかして、そういう趣味お持ちなんですか?」
「 な、何、言ってんですか!」

 どうせ、冗談半分に言われたとわかっているのに、咄嗟にみんなの顔が浮かんでしまい、俺は動揺を抑えるのに必死になってしまった。
 そんな俺を見て、用務員さんは真剣だった表情を崩して笑う。

「そんなに慌てないでくださいよ、冗談なんですから」
「そうですよ。そんなわけないですよね」

 平静を装ってそう言った俺だったが、内心は俺達五人の関係がばれないかドキドキしていた。
 だが、用務員さんはたいして気にしていないのか、いきなり手にしていた大きな袋を俺に差し出してきた。

「何です? これ」

 そこそこの大きさがある袋を前に、俺はどうしていいかわからず困ったように用務員さんへと聞く。

「いやぁ、実はさっき女子生徒から土方先生に渡して欲しいって頼まれたんですよ。ちょうど会えてよかったです」
「え……」

 それでも素直に受け取っていいものか迷っていると用務員さんが決定的な一言を言ってきた。

「その子の名前を聞き忘れてしまったので返すわけにもいかないし、私が受け取るわけにもいかないでしょう。女性に興味がないわけじゃないなら、とりあえず受け取っておいたらいいんじゃないですか? 中に名前が入ってるかもしれないし」

 そう言われてしまうと、ここで受け取らなかったら俺が女性に興味がないみたいに思われてしまうかもしれない。
 それは考え過ぎだと言われてしまえばそれまでかもしれないが、それくらい俺はこの話題に過敏になっていた。

「……わかりました」

 俺は躊躇いながらも、可愛らしくラッピングされたその大きな袋を受け取った。
 これを歩きで持って帰るのかと思うと、少し恥ずかしい気もしたが、これ以上断ると本当に怪しまれてしまいそうだ。
 役目を果たして笑顔で見送ってくれた用務員さんに俺も多少ぎこちなくはあったが笑顔を返しながら、大きな袋を手に家へと帰った。