「土方先生、おはようございます!」
「おはよう」
職員用の駐車場へと車を停めて、すれ違う生徒達と挨拶を交わしつつ俺、土方雪乃は高等部校舎にある職員室へと向かう。
ここは俺の職場でもある私立誠陵學校。中等部から大学部まで抱え、私立としては独特の教育方針が有名な学校だ。
生徒の校則自体も厳しくなく、教師陣も校内では白衣着用以外は特に禁止されていることもない。
何より、得意な分野を伸ばすことにおいてはこの学校より右に出るところはないだろう。
ここの理事長は人の才能を見抜く力があるようで、理事長が気に入りさえすれば生徒・教師に関係なく、理事長のポケットマネーから援助金が出されるのだ。
そのため、みんな好きなことに打ち込める体制が出来上がり、校則が厳しくないわりには校内が荒れることもなく、寧ろ、みんながのびのびと学校生活を送っている。
大学卒業とともに、こんなすごい学校に採用されるなんて本当に幸運なことだ。
改めてそう思いながら、俺は職員室のドアを開ける。
「おはようございます」
挨拶をしながら二学年担当エリアにある自分の机へと向かうと、すでに来ていた陽愛くんとオキが出迎えてくれた。
「おはよ~」
「おはようございます、土方先生」
陽愛くんは俺の先輩で、オキは俺の後輩にあたる同じ二学年の同僚だ。
「おはよう。山南先生、沖田先生」
二人とは仲も良く、普段は親しみをこめて名前で呼ぶけれども、一応、校内では生徒の手前もあり、俺はあえてみんなを『先生』と呼ぶように気をつけていた。
そんな俺の些細なルールを知っているからか、二人も特に何かを言うわけでもなく俺に合わせてくれる。
「早いね、二人とも」
机に荷物を置きながら俺は二人に話しかける。
「僕はバスの時間があるからね~。オキは……」
「私は朝のうちにちょっとすることがありまして」
俺の言葉に陽愛くんは癒し効果抜群の笑顔で、オキは少し言いにくそうに眼鏡を弄りながら答えた。
「あ~、週末だからまたゲームだろ? 駄目だよ、たまには外に出ないと」
ほぼ確信して俺が注意すると、図星だったのかオキが困ったように小さく笑う。
かと思うと、次の瞬間にはやたらと色気のある声で言った。
「雪ちゃんがデートしてくれるなら、いくらでも外出するよ?」
「校内で名前で呼ぶなって!」
オキが顔をあげた瞬間に揺れた前髪の間から見えた素顔に、僅かに動揺してしまった気持ちを誤魔化すために、俺が怒ったように言うとオキは呆れたように言い返してきた。
「デートの誘いに『土方先生』はムードなさすぎでしょ」
「デートって……」
それ以上、上手い言葉も思いつかず俺は黙ってしまった。
普段は仔犬のように愛らしい顔と態度で、一部の生徒からは『オッキー』なんて呼ばれて可愛がられているくせに、時おり、今みたいにふと見せる男の色気が何だか……ズルイ。
何がずるいのかと具体的な答えを求められても困るが、とにかくそんなオキの態度に俺は度々、動揺させられてしまうのだ。
それどころか、俺の動揺をわかったうえでわざと気づかぬフリをしてオキは言ってくるから余計に悔しい。
こういうところがなければ、頼りになる可愛い後輩なのに。
「オキ、それくらいにしとけ。雪くんが困ってるだろ」
「陽愛くん……」
俺を庇うようにオキを注意してくれた陽愛くんを、つい名前で呼んでしまうと今度は陽愛くんが優しく微笑んだ。
陽愛くんは俺が新任としてこの学校にきた時から、何かと気にかけてくれた先輩だ。
年上だけど、俺よりも背が低くてほんわかとした陽愛くんの雰囲気には、生徒だけでなく俺もだいぶ癒されている。
さらには、とてもマイペースで自分から率先して動かない陽愛くんが、何故だか理事長から一目置かれている理由もこの笑顔効果ではないかと噂があるくらいだ。
そんな陽愛くんの笑顔を密かに堪能していると、陽愛くんが俺に近づいてきて言った。
「遊びなら、今度僕と一緒に釣りに行こう? 一から教えてあげるし。あ、登山で朝日を見るのも綺麗だよ」
「おじさんこそ、何ちゃっかり誘ってんの」
陽愛くんの発言に、オキが素早く反応した。
「僕は雪くんを『遊び』に誘ったの。何か問題でも?」
「よく言うよ。登山で朝日って……下心ありありなくせに」
「あからさまなオキよりマシだろ」
「ちょっと二人とも……」
可愛い二人が言い合っているとまるでじゃれ合っているかのようで、俺はこのまま目の前の光景を見守るか迷いながら声をかけた。
すると、いきなり二人が同時に俺の方へと向く。
「雪くん・ちゃんは、どっちを選ぶの!」
「ええ~……」
いきなりの問いに俺は困ってしまう。
どっちを選ぶも何も……今のこの質問って何に対してのだ?
本題を見失って、俺が何も答えられずにいる間にも二人は並んで俺を見上げてくる。
癒し効果がありそうな陽愛くんの優しい顔と、さっきの色気が嘘のように普段は隠されている小動物のようなオキの愛らしい顔。
この二つの顔が並んで俺を見上げてくる姿は……可愛すぎるだろ。
二人に詰め寄られ、さらに俺が混乱していると助け船かのようなタイミングで職員室のドアが開いた。
「おはようございます」
割と低めのテンションでそう言って入ってきたのは涼介だった。
涼介は俺の小学生の頃の幼馴染みで、小さい頃はよく一緒に遊んだりしていた。
でも、成長して一人暮らしなどを始めてしまうと会う機会も少なくなり、去年、涼介がこの学校へと採用になった時には本当に驚いたのを覚えている。
なんせ、面接もせずに履歴書だけで理事長が採用を決めたものだから、当時は職員室が涼介の話題で持ちきりになってしまったのだ。
そんなエリートを幼馴染みに持つ俺としては、誇らしいやら、ちょっと悔しいやら複雑な想いだ。
「何やってんの? みんなで」
自分の机に向かってきながら涼介が聞いてきたので、俺達の間にあった変な空気が途切れた。
このチャンスを逃さず、俺はついつい見惚れてしまった陽愛くんとオキから顔を反らす。
「ナイスタイミング!」
「は?」
俺からの感謝も、涼介にはなんのことだか解らず困惑したように聞き返された。
「どういうこと? 土方先生」
「いや、何でもない! それより、今日は早く起きれたんだな」
まさか、二人が俺をデートに誘うことで揉めていたなんて言えるわけがないので、俺は話を誤魔化すために涼介にそう言った。